下仁田ねぎの栽培

現在、主流となっている一般的な下仁田ねぎと違い、本場である下仁田町馬山では、伝統の種で、伝統的な栽培をしています。伝統的な栽培の特徴を大まかに言うと次のようなところがポイントです。

栽培期間の長さ

14〜15カ月ほど、つまり1年以上かかります。

通常の野菜の多くは3~4カ月もあれば収穫できてしまうのに比べ、1年以上かけてじっくりゆっくり育てます。

栽培の流れをざっと言ってみれば、9月下旬~10月に種をまき、11月に発芽、芽葱の状態で一冬越します。翌年4月頃に仮植えし(苗床から別の畑に移植)、7月~8月に本植(夏の植替え)を行って、2度目の冬の12月頃から2月にかけてようやく収穫します。

夏の植え替え

下仁田ねぎは冷涼性野菜(暑さに弱く、寒さに強い品種)なので、土中の温度があがる夏場は生育を止め休眠してしまいます(生育適温15℃~20℃)。休ませないよう、根に刺激を与え、活を入れるため、春に植えた葱をフォークと呼ばれる農具で引き抜き、ふたたび選別しなおして、植えなおす作業が夏の植え替えです。おもに7月後半(土用丑の日あたり)から8月中旬(お盆くらい)が作業期間です。

植え替えすることで、あたらしい根が生えます。葉っぱは、植え替えることで一度白く枯れ、やがて新芽が伸びて生まれ変わります。

夏の植え替えをすることで、肉質がよくなり、やわらかくおいしい下仁田ねぎになります。

作業は、稲作における田植え機のようなものはないので、一本一本すべて手作業でおこないます。

夏の植え替え

伝統の種(自家採種)

下仁田町の葱農家の多くは、植えた分、すべて収穫するわけではありません。種用に必ず端の一作を残しておきます。
3月頃にギボと呼ばれる花芽が出て、5月頃にソフトボールくらいのサイズの葱坊主なります。種が実る6月に葱坊主を摘んで自然乾燥させたのち、種を取り出し、収穫前の9月下旬~10月に次年用の種を蒔きます。

この土地・風土の中つないできた種なので、下仁田ねぎが本来の持つ、独自の味、力強い風味を味わえます。

採種

当農園の下仁田ねぎは、葉っぱの短い原種に近い中ダルマ種です。葉っぱも丈も短いということで収量が少なく、また病気に弱かったり、すこしのことで成長を止めてしまったりと栽培がとてもやっかいで、収量を重視するタイプの農家には割の合わないといえます。

しかし昔から味が良くて美味しいと親しまれていますので、作りつづけています。

一般的に種苗店等で売られている種は、人為的につくられたF1種(一代交配種。ハイブリット種)と呼ばれる一代限りの種で、特定の病気に強かったり、形や大きさの揃っていたりします。成長も早いので収穫量も増大させやすく、大量生産向きな農家には便利な種。採種しても次世代は潜性遺伝子が分離して出現するため、性質がバラバラになりやすいので、また種を購入して栽培します。

下仁田ねぎの歴史

ねぎのルーツは中国西部の「葱嶺」と呼ばれる高原地帯(パミール高原)で、その冬季に寒冷で乾燥する気候は、わが下仁田町にも共通しています。

下仁田ねぎの原産地は下仁田町の長野寄りの山間部といわれ、200年以上昔の江戸時代にはすでに栽培されていたようです。

下仁田葱の系統は3系統で

  1. 西野牧系(西牧葱)
  2. ダルマ系
  3. 中ダルマ系(西牧ネギとダルマ系のかけあわせ)
ちなみに、当農園は、葉っぱも白根も短い中ダルマ系。

江戸時代には旗本大名の間で、下仁田ネギが贈答品として広く利用されていたことが文献を通してわかっています。このことから、別名「殿様ねぎ」とも呼ばれることがあります。

下仁田町には下仁田ネギ発祥の地というのがあります。

下仁田葱発祥の地

これは、昭和9年に皇室への下仁田ねぎ献上地が西牧の小出屋地区にある佐藤氏の畑からのものだったため、同地を下仁田ネギ発祥の地と宣言したようです。